2013年07月03日
道草

7月に入ったが梅雨はまだ続いていた
その日も曇空からは時折 細い雨が降っていた
4月から、電車通勤になった ほとんど車には乗らない
3月下旬に部長に呼び出され、転勤をほのめかされたときには
あまり感情の変化もなく、今の職場を離れるという安ど感に
すこし薄ら笑いも浮かべたほどであった
4月、生活はあまりに大きく変わってしまった。
新任地はとにかくクルマで行ける距離と時間を許さなかった
朝早く家を飛び出し、駅まで徒歩、そして電車を二本と地下鉄
まったく自分の体力勝負の通勤となった
「会社行くだけでもひと仕事だな」毎朝同じことを嘲笑ぎみにつぶやくのが日課となっていた
仕事の内容もがらりと変わった。
心身ともに使うところが違うというのか、ほったらかしの畑で突然 日本一のトマトをつくろう
なんて言われてるようなものなのだ。
したがって誰もが共感するのであるが、疲労が半端ではない。毎日 朝から疲れて
昼間疲れて、昼食もほどほどに会社の中で人のいないところを選んで昼寝をする
そしてまた地下鉄電車電車徒歩の帰路に就く。最初のひと月はまるで宇宙遊泳だった
自分の体ではない。ある意味、足が痛くて腹が少しずつ固くなっていくのがわかる。
ちょっとしまったはらまわり。
夜、横になると呼吸が楽に感じられる。まあ三秒で意識はなくなるのだが。
二か月目。少し仕事にも慣れ、知ったかぶりのひとつもかましてみたりしても
「は?」などと周りに目をそらされることも減ってきたような気がする。
同時に行きと帰りの徒電電地、(徒歩電車電車地下鉄) も変わる景色が目に入るようになってきたようだ。
特に歩いて駅に向かう道は、毎日新しい発見があったりして、二か月目にしてやっと
気がついた横道や、毎日追い越していく人、すれ違う人、駅近くの店やオフィスなど、
この二か月何見て歩いてたんだと驚くほどの町の変わりようだ。
そして日はすすみ、すこしずつ暑くなり、雨の日も徐々に多くなり、たった三か月で4本目の傘を
仕方なくコンビニで購入したころには、帰り道の行進にも余裕がでてきたのであった。
まだなんとなく寄り道して帰ろうとは思わなかったが、駅のすぐ前にある本屋に
ふらっとしたふりをしながら寄ってみたりするようになった。
こんな通勤もありかな、というのは三か月経った後の自己評価なのだが、もうあと三か月後は
どんな状況になっているかはわからない。
ま、今が一番いいときというわけで。その上 夏に近づく空気は歩いているからこそ感じられるもの
なんだろう。これがクルマだと、エアコンのスイッチオンで窓閉めておわりみたいなもんだから。
いやあ徒歩の素晴らしさよ。メシもそこそこうまい。締まりかけたカラダは見事環境に順応して
春前の状態に戻ってしまった。
そんなこんなで4か月目 7月になってしまった。
ニッポンは長い不況のトンネルを今まさに抜け・・・テンテンテン。
街角のザワメキはボーナスもらったから?
老いも若きも足取り軽く、人にも優しく。人混みの中で進路をゆずってしまって、あれ
いいことしたのかな?なんて一人で優しく微笑んでみたり。
コンビニで57円のモナカを買って、おつりをもらいながら「どうもありがとう」って
映画のワンシーンだよ。というのが蒸し暑い夏のやり過ごし方。
こんなことも徒歩で覚えたのだ。
そんな7月のある日の帰り道、最後の徒歩ステージでのこと。
優しさも絶頂になり、さらに好奇心もぽくぽくとアスファルトを押し上げて、
足取りも軽く歩き出す。いつもと変わらない道なのだが、あれ?
この4か月、好奇心から枝道はすべて見ながら歩いていたはずなのに、
知らない道が少し先の和菓子屋の向こうにある。
道を知っているといっても一度も曲がっていったりしないところは、
内的コントロール機能がまだクルマのままなのかもしれないが、
それでもそこを通るたびに路地の奥をずっと見て確認しながら通っていたのだ。
気が付かない方がおかしい。
その日は 何本か早い電車に乗って帰ってきたので 街もまだにぎやかだ。
最近は仕事も落ち着いていて疲れもそれほどではない。
ほんのちょっと立ち止まってもぞもぞしていたが、今日しかない的な冒険心が
むくむくとわきあがってきた。
うむ。
意を決してその路地に入っていった。
つづく
2013年07月03日
道草 2

今までたいしたことをしてきたわけではない。
小学校から中学そして高校と
まあ、そこそこいいやつで通してきた自負はある。
いいやつが得をするとか、そんな打算ではないが
いいやつというのは、わるいやつより印象は薄いが
悪意も希釈されいて、ま 笑顔であいさつという感じで
恥ずかしいようなすがすがしさを醸し出す良い材料にはなっていた。
そのため、知り合いも多い。と思う。いや思った。今は違う。平均的。
まあ、世の中にあるものとの比較で評価というのは成り立つものだから、
自分の容量に対して、多いと思えばそれはそれでいいんだ。
何をやっても大成功はないけれど大失敗もなかった。
今となってはそれが大失敗の始まりだったのであるが。その点については
自然にわかってくるので、あえてここで説明はしない。
このあたりが、両端のないちくわなのだ。けしてちくわは悪くない。
社会にでたらそれはそれで、そつなく何でもこなしてきた。
ま、得意技がないということだ。
そうなると、出世も平均的。40くらいまではスルスルと周りのやつらに遅れないほどに
やってこられた。
まあ人並みに人生の機微も味わい、気が付いたら後半戦。それも試合終了間際。
サッカーでいえば
アディショナルタイムが気になる年頃だ。
気になるということはけして勝っていない。
今から頑張れば逆転できる点差でもない。
どちらかといえば追加点をあげられないようにどうしようかというところだ。
そう考えては「まいったなあ」と、苦笑いの毎日だ。
そもそも電車通勤だってそう。
いい年になって、あんな身のこなしをすることになるとは。
駅に近づき構内に吸い込まれる頃には、手にカードのパスを握りしめ、歩行スピードを
いかに落とさずあの改札を抜けようかと、毎回緊張しているのだ。
あと何年続くのかわからないけど、いつも乗る車両が決まり大体まわりの乗客も見たこと
ある人が増えてきて、でもたった4か月のうちに「お疲れですね」と声をかけたくなるほど
周囲が疲弊していくのを見ていると、おのれも同じ景色の一部なんだろうなと認めざる得ない
閉塞感がのどの奥をぐぐっと突っつくのがわかるのだ。
だから、あまり調子に乗って道中の風景を覚えたくはないのだけど、ある一時の高揚感で
きょろきょろしてしまうのだ。
人というのは都合がいいものある。
未来のことを考えるというのは希望に満ちたことだ。が
しかし、今浮かんでくるのは将来への何とも言えない不安であり何の保証も得られない
自分の人生なのである。 ロックンロール。
反逆の旗手。体制への抵抗。つまらない大人にはならない。
Don't trust over thirty.
まあ、十代二十代のころ熱狂の中、叫んでいたやつらだって
つぎの世代にバトンを渡す準備をしだしたし、いまだ拳あげてる同年代には
すごい!がんばって!応援してるよ!とか
何十年もプロ野球チームを応援するがごとく。
まだそんなとこにいるの?って、言われてるみたいだ。
というものの、別にハンギャクしてないし、テイコウもしてないんだけど、
その頃のステージライトにまだ憧憬の念が消えておらず、
どうも顔のしわに刻まれたように渋いふりをしているのが自分で密かに腹立たしいのだ。
それくらい未来というのはミイラと読みかえてしまいたいほど暗く、
その上このおやじ頭は現状打破をする勇気もないのである。
つらつらと未来への提言を唱えてきたが、雨の降りそうな今日この時間
見落としていた路地が目の前に現れて、知らないうちに子供の心がよみがえり
その道に入り込んでいっただけの話なのだ。
通り抜ければ気が済む。それだけだ。
そのつもりだったんだ。で
も、 その通りは人もいないのに妙に明るく感じた。道幅はどう二人連れどうしが
すれ違うのがやっとくらい。傘などさしてると骨の先がツンとあたって傘がくるっと
まわりそうな空間だった。
どうもいつか来たような気がする。
というのがお決まりだが、全然そんなことはなく初めての道をゆっくりと歩くのであった。
しかしこの道どこまでまっすぐ続くのだろうか。
道の先はかすんでよく見えないのだが、通りすぎようとする両脇の店や家の軒は
すーっと後ろへ過ぎていく。
ただ、少し向こうにやけに目立つ灯りの看板があるのがさっきからわかってはいた。
何の感慨もなくその灯りに向かって、急ぐわけでもなく歩いていったのであった。
空は真っ暗、遠くの繁華街の灯りを反射して灰色に見えていた。時折 誰かが
誰かを呼ぶ声が聞こえ、救急車のサイレンがかすかに流れるように聞こえてくる。
誰も歩いてない道、看板は徐々に近づいてきた。
つづく
2013年07月04日
道草 3

いままでいろいろな店にいってきた。もちろんお酒をのむところ。
どこそこがいいよって話になると、たいてい なんてお店?ってことになる。
この店の名というのが、けっこう愛すべきものが多く好きだ。
フランス語、スペイン語の名前だと店の中の雰囲気も勝手に自分でつくってしまう。
よくいうおしゃれなお店という感じだろうか。
英語は溢れているからどうも老舗っぽい。30年40年営業しているという、
素敵なマスターが時折微笑みながら若いお客の話をカウンターの向こうで聞きながら
ライムかなんか切っているような。
別に英語の名前でなくてもたぶん差はない。自由に想像してできたイメージだ。
でも行ったお店がその雰囲気に(ジャストミート!)近かったりすると、とたんにそこが好きになってしまい
ちょくちょく行くようになるのも事実だ。
具体的な単語は出てこないし、いろいろな店といっても生まれてこの方、たぶん10軒かそこらだろうから
あまり、出歩いたくちでもない。そもそも自ら行こう行こうということがなかったから
全部受け売りなのである。ま、何回か行くと評論家っぽくなってしまうのがいけないところだ。
経験値が少ないから余計そうなってしまうんだろう。誰に行ってほしいかではなくて、こんなお店を
知ってるんだぜみたいな自慢的要素が大きいのだ。
でそのようなお店に行っても「ナマチュウ」などと注文してしまうのも白状しなければいけないだろう。
これはすべてお酒を飲む店の中でも居酒屋や焼き鳥屋あるいはスナックだとかの類ではなく、
バーとかパブとかそれに近いお店のことだ。
大体 思いつくのがこの程度なので、そもそも看板に惹かれて飛び込むなどという暴挙にでられるわけがない。
前を行ったり来たりして、そのまま帰るというパターン。
20代30代でもその戦闘意欲のなさなのだから、いまさら一人でというのは
精神構造の改築から始めないといけないのである。
それなのに気になる看板にふらふらと近づいていくこの場面はなんだ。
わざわざ通りをはずれてまでそこに向かうというのは、それだけで大事件。
まあ、
きっと前までいって文字を読んで、英語かフランス語かなどと確認したらそのまま素通り
ということになるんだろうな。
そう、最初からそもそも入るなどとは考えてないし、その看板がバーと決まったわけでもない。
何かアクセサリーを並べているような店かこだわりのパン屋かもしれない。
あれこれ考えていることに はたと気がついて我に帰った。足は動いていたから例の看板はすぐそこだ。
看板は縦長だったが意外と小さい。中に短くて白い蛍光灯が一本入っているのがわかる。
寿命が来ているのか、微妙に瞬いていてそれはそれで風情がある。
字が読めるくらいのところまできて、立ち止まった。遠巻きにながめて情報を整理するという
作業は、この春から身に着けた手段だ。とにかく安全確認。これにつきる。
怖さ、そうこれがもっとも大きな原因だ。 でも年季とか円熟とか老練とかいい表現にしておこう。
たばこを一本取り出して火をつけた。この数年吸っていなかったのだが、これもこの春からたまに
思い出したように吸うようになってしまった。ストレスなのか魔がさしたのかわからない、しかし喫煙場所は
おそろしく少なくなり、ほとんど吸わずというより吸えずに一日過ぎてしまうことが多いので、
あまり吸うことで救われたりはしないのだが。
今では少なくなった木造の壁がけっこう多い。道端には青い大きなゴミバケツが置いてあるところもある。
電線がけっこう低いところを横断している。あいかわらず人は歩いていない。
看板だってよくみると、あちこちにあるのだが点灯しているところがない。そこだけだ。
きょうは商店街の定休日なのか。あれきょうは何曜日?よくわかんなくなってきた。
大変なことに気がつく。
さっきからじっと看板を眺めているのだが、どうも字が読めない。なんて書いてあるんだ?
日本語ではないぞ、じゃあ何?模様か?デザインか? いやいや文字だ。
と思う。
いままでの自分の被教育の歴史の中から、似たような文字を探したが、頭の中から明快な解答はでてこなかった。
困ってしまった。これでは何ていうお店という話ができないよ。ネタにもならない。
飲み屋ネタはあまりしないからいいんだけど、どうも胃のあたりがフワフワと気持ち悪い。
べつに知る必要もない。よな。 その通りだ。気がつかなかった通りに気になった看板があっただけのこと。
なんで、こんなとこでタバコ吸いながらぼーっと立ってるんだよ。
さて帰ろうかな。
帰りたい気持ちのわりに足は動かず、さらには何かを決心しなければという気持ちが湧いてくるのを必死でおさえようと
している自分がいた。
また
2013年07月17日
道草 4

タバコはふた口ほど吸っただけで指の間で短くなっている
そろそろ熱さを感じようとするころ 軽く一口吸った
のどの奥に熱気がはいっていく
周りを見てもどうも捨てる良い場所がない
昔 がんがん吸ってたころだったら足元に静かに落として靴でくるっくるっとやっていたところだ
フィルターをつまんでそのまま考えるでもなく立っていた
あきらめに似た気持ちが頭のてっぺんから降りてくる
あ~ となんともめんどくさそうな声を息と煙と一緒に吐き出す
アスファルトにタバコの先を押し付けて火だけ消した
とても小さな火の粉がちかちかと光った
立ち上がると軽いめまいがした タバコと疲れと年のせいだ
そのままよろけるように その看板の下まで行った
木でできたドアは少しどす黒く 取っ手の部分は茶色が鮮やかに残っている
そして左手に消えたタバコをもったままそのドアを引いた
このところおかしなことが多く起こるような気がしてならなかった
自分の身の周りだけではない この世のすべてが 少し歪んで
そのしわに足をとられてつまずいてしまった人を見る
どうしてこんなことがあるのかということも わりとささっと起きている
起きた後で知る 当たり前だがあまりにあっさり起きてしまったようにも感じる
だが そんなことはない そこに至るまで生まれてからずっとその場面に向かって
来ていたのだ そうは思いたくはないが
巻き戻していくと結果そうなっている人生というものが あまりにちっぽけに思え
他人事を我が事に置き換えて再生してみたりする
イメージはわいてこない
悲惨や残虐などという言葉は知っているだけで十分
自分には当てはめる枠はない すくなくとも今は
今ドアを開けている自分は我が事をすすんでいる
外よりは少し明るめの照明が目に入る
こんな店にはありがちの電球色だ
そういえば自分の家のキッチンもこんな色にしてある
優しい笑顔 おいしい食事 楽しい会話
灯りだけだな
中はすでにけっこう混んでいるようだ 話し声が聞こえる
ドアを閉めてすこし進むと 奥まで見渡すことができた
それほど広くはないフロア 右側にカウンターがあり
その向かいには5席ほどのテーブルがある
そのテーブルはすべて埋まっている
カウンターの席も10席もないくらいだろうか
一番手前が空いている
誰にすすめられるでもなく 静かにそこに腰をおろした
店員は二人 一人はカウンターのなかで下を向いて飲み物をつくっている
もうひとりは一番奥のテーブルで向こうを向いて食べ物をサーブしていた
さて どうしたものか
まずは手に持っていた火の消えたタバコの吸い殻をカウンターに置いてある灰皿においた
そのとき カウンターの店員が自分に気づいたようだ
なんか おかしいな ドアを開ければふつう気づくだろう
ま こんなお店も意外と人気あるもんな と 店の対応をいい方に勝手に解釈して
自分が嫌な気持ちにならないようにコントロールした
これがいけないところだと思う 客観的に見ればやな感情は芽生えないと思い
やってしまうのだ ま 自分はどうでもいい客なので こんなことを
お店に通って仲良しになって いつか打ち明けるなんてこともない
自分の居場所と居心地を求める きっとこれなんだろう
思わず
ビールを注文した まあ飲むといえばまずはこれ
おしぼりとクラッカーみたいなものと一緒にビールがでてきた
とりあえず一口飲む
いきおいでそのまま半分ほど飲んでしまった
さっきのたばこの熱気とねばねばは
ビールの冷たさと炭酸の泡がのどの壁を洗い
体の中心へと冷たさの塊は落ちていく
同時に頭にゆるやかに血が巡っていくのがわかる
一瞬で酔ったような感覚 そんなにお酒弱くないのに
しかし一方で徐々に目は冴え頭ははっきり耳も音のつぶがひとつずつ聞こえてくる
余裕がでてきた
まずは耳 声を聴く 声の重なりのなかから どれかひとつに集中してみる
会話が際立って聞こえてきた 高い声だからけっこう聞き取れる
何か懐かしい話をしているようだ
BGMは流れてるんだっけ
何か鳴ってるようだけど こっちはよく聞こえない
たいていこういうお店ではJAZZが流れてるのが定番なんだ
日本はJAZZ好きが多いと思う 日本的な雰囲気にはしない
日本の音楽で流すとしたら何だろう 演歌は悪くないけど
どうも違う
とはいっても最近はテレビの懐かしの演歌をうたう番組を見てしまったりするし
嫌いでもないから もし流れていたらそれでも許すかもしれない
昭和30年代の歌がいい あのあたりは演歌だけじゃなく歌全般がいい
フォークなんかはどうだ
お客さんがガラッと変わりそうだし 説教くれたりされそうでもあるし
お酒もあるけどミルクも良く注文されそうな印象がある
やはり ルーツは遠くにあるものが畑にさらっと降る雨のように
やさしく心に沁みるのだ
BGMのことをしばらくひとりで評論しながら またその声が入ってきた
この声?
あれ? と思うと同時に思い出した 逃げる脱走犯に突如サーチライトがあたるように
思い出した
・・・
2013年08月07日
道草 5
声というのは見えない時でも個を確定するのにとても有効だ
大抵 知ってる人でも 顔を見るより声を聞く回数や量は多いものだ
電話などはその最たるもの
声ですでに認知して 話をする
その声は絶大な安心感を与えてくれる
時には 会うよりも声の方が都合がよい
そして 思い出したその声だ
覚えているのだが 判定できない
声が聞けるというのはその人がもちろんそこにいるからであって
そこにいるということは もちろん生きているということだ
よく覚えている声
店には何人もの人がいる そこから際立って聞こえる声
そしてそれに対して何かを思い出す
急に心臓が波打つように揺れだした
ビールを飲んだからだとは思うが しかし
すこしちがう感情
その声は すでに旅立っていったあいつの声なのだ
かれこれ 3年ほど前のこと
突然 あいつからの一本の電話でそれを知った
あまりに急なことで返す言葉が見つからなかった
彼は重い病に襲われていた
本人も知らない間に それは急にあいつの中で巨大なものになっていた
ただ未来については勇気をもって立ち向かい
必ず勝つと言っていた
残り時間のことは一言も言わず もちろんそれを疑いもしなかった
あいつとは
よく戦友といわれる仲だった 同い年で同期入社
若かった わずかな訓練でそのまま荒野に立たされた
そこで生き残る
それが今いる会社だ
あいつは勇敢にたたかった 一方で自分は隠れに隠れて生き延びた
でも不思議と気が合った あいつの話を聞くたびに
自分のずるさが恥ずかしかった あいつは何もいわなかったが
そんなことはわかっていただろう
でも それはどこかに置いて一緒にきた
部署は違ったが あいつの評価はよく聞こえてきた
戦うとは勝って進んでいくこと
勝負に対峙しない自分には何も言えない
子供のころのかくれんぼだ
最後まで見つけられない 他のみんなが飽きて違う遊びを始めても
ひとりひとり夕暮れに追い立てられ帰っていっても
見つからずにずっと身をひそめる
最後には見つけられず忘れられる
それが自分だった
勝ちはしないけど 負けはない
自分からは出ていけない
でも
いつも見つけてほしかった
最初に負ければ それでも次は主役の鬼になれるのだ
それができなかった 見つかるのが恥ずかしかった
だから徹底して隠れた
社会に出ても結局はそれだ
誰にも見つけられないから そのまま働く
異動だって 誰かに褒められたり 祝福されるわけでもない
その場所からの単なる転出だ
こんな自分だから あいつは余計にでかく見えた
電話はそれきりだった
同じ会社にいるのにまったく接点をもたなかった
たまにふと思うだけだった
そしてしばらくしてあいつのことを聞いたときは
ひとときの時間をあいつのために空ける相談だった
心の奥に深い傷がある
誰かにつけられたものではない
自分でつけた傷だ
思いもしない気持ちが湧きあがって その気持が
さっと深く心の表面をえぐっていく
その刃先は深くまで食い込んだ
今も時折 その痛みに息が止まりそうになる
自分に腹が立ち情けなく思う
なぜあんな気持ちが湧いてきたのだろう
誰も知ることはない
自分だけの深い傷
最後の電話の時
勝負が浮かんだ そしてなぜか勝ったと思った
自分は勝った
しかし次の瞬間 思い切りそれを飲み込んだ
二度と考えまいと思った 自分のいやしさに身がすくむほどだった
その思いは時折 深い青の水の底から静かに浮かんでくる
自分の意思ではどうしようもない
思い切り押し付け沈めようとするだけだ
ほんの一瞬 ただ自分の正体のひとつには違いない
心のなかにできてしまった得体のしれないもの
あれ以来 ずっと抱えながら生きている
あいつがなぜここにいるのか
懐かしいと思ったのは単に聞き覚えのある声というだけか
自分のどす黒いものはあいつにばれてるわけがない
安心感というのはどこかであいつが勝ったと思い直せるからか
自分の心の塊はこれで消えていくとでも感じたのか
どこまでいっても結局は自分のことを考えている
ゆっくりと何気なさを装い振り返った
横顔が薄暗い店の灯りで白く見える
あいつは自分の知らない誰かと話をしている
どうしたらいいかわからない
声をかけるのか
なんて言えばいい
二杯目のビールも飲み干し
次の一杯を店員に軽く合図した
新しいビールは冷えていた
酔いのまわらない体に流し込んだ
タバコに火をつけた
その時
自分の名前を呼ぶ声がした
大抵 知ってる人でも 顔を見るより声を聞く回数や量は多いものだ
電話などはその最たるもの
声ですでに認知して 話をする
その声は絶大な安心感を与えてくれる
時には 会うよりも声の方が都合がよい
そして 思い出したその声だ
覚えているのだが 判定できない
声が聞けるというのはその人がもちろんそこにいるからであって
そこにいるということは もちろん生きているということだ
よく覚えている声
店には何人もの人がいる そこから際立って聞こえる声
そしてそれに対して何かを思い出す
急に心臓が波打つように揺れだした
ビールを飲んだからだとは思うが しかし
すこしちがう感情
その声は すでに旅立っていったあいつの声なのだ
かれこれ 3年ほど前のこと
突然 あいつからの一本の電話でそれを知った
あまりに急なことで返す言葉が見つからなかった
彼は重い病に襲われていた
本人も知らない間に それは急にあいつの中で巨大なものになっていた
ただ未来については勇気をもって立ち向かい
必ず勝つと言っていた
残り時間のことは一言も言わず もちろんそれを疑いもしなかった
あいつとは
よく戦友といわれる仲だった 同い年で同期入社
若かった わずかな訓練でそのまま荒野に立たされた
そこで生き残る
それが今いる会社だ
あいつは勇敢にたたかった 一方で自分は隠れに隠れて生き延びた
でも不思議と気が合った あいつの話を聞くたびに
自分のずるさが恥ずかしかった あいつは何もいわなかったが
そんなことはわかっていただろう
でも それはどこかに置いて一緒にきた
部署は違ったが あいつの評価はよく聞こえてきた
戦うとは勝って進んでいくこと
勝負に対峙しない自分には何も言えない
子供のころのかくれんぼだ
最後まで見つけられない 他のみんなが飽きて違う遊びを始めても
ひとりひとり夕暮れに追い立てられ帰っていっても
見つからずにずっと身をひそめる
最後には見つけられず忘れられる
それが自分だった
勝ちはしないけど 負けはない
自分からは出ていけない
でも
いつも見つけてほしかった
最初に負ければ それでも次は主役の鬼になれるのだ
それができなかった 見つかるのが恥ずかしかった
だから徹底して隠れた
社会に出ても結局はそれだ
誰にも見つけられないから そのまま働く
異動だって 誰かに褒められたり 祝福されるわけでもない
その場所からの単なる転出だ
こんな自分だから あいつは余計にでかく見えた
電話はそれきりだった
同じ会社にいるのにまったく接点をもたなかった
たまにふと思うだけだった
そしてしばらくしてあいつのことを聞いたときは
ひとときの時間をあいつのために空ける相談だった
心の奥に深い傷がある
誰かにつけられたものではない
自分でつけた傷だ
思いもしない気持ちが湧きあがって その気持が
さっと深く心の表面をえぐっていく
その刃先は深くまで食い込んだ
今も時折 その痛みに息が止まりそうになる
自分に腹が立ち情けなく思う
なぜあんな気持ちが湧いてきたのだろう
誰も知ることはない
自分だけの深い傷
最後の電話の時
勝負が浮かんだ そしてなぜか勝ったと思った
自分は勝った
しかし次の瞬間 思い切りそれを飲み込んだ
二度と考えまいと思った 自分のいやしさに身がすくむほどだった
その思いは時折 深い青の水の底から静かに浮かんでくる
自分の意思ではどうしようもない
思い切り押し付け沈めようとするだけだ
ほんの一瞬 ただ自分の正体のひとつには違いない
心のなかにできてしまった得体のしれないもの
あれ以来 ずっと抱えながら生きている
あいつがなぜここにいるのか
懐かしいと思ったのは単に聞き覚えのある声というだけか
自分のどす黒いものはあいつにばれてるわけがない
安心感というのはどこかであいつが勝ったと思い直せるからか
自分の心の塊はこれで消えていくとでも感じたのか
どこまでいっても結局は自分のことを考えている
ゆっくりと何気なさを装い振り返った
横顔が薄暗い店の灯りで白く見える
あいつは自分の知らない誰かと話をしている
どうしたらいいかわからない
声をかけるのか
なんて言えばいい
二杯目のビールも飲み干し
次の一杯を店員に軽く合図した
新しいビールは冷えていた
酔いのまわらない体に流し込んだ
タバコに火をつけた
その時
自分の名前を呼ぶ声がした
2013年08月21日
道草 6
それは奥のほうのカウンター席からだった
ここに来て以来全く気付かなかったが
そこには 先輩がいた
今の会社での先輩だ 年はずいぶんと上なのだがなぜかよくしてもらっていた
ただ一度も同じ部署にいたことはない
個人的に業務上でのかかわりはなかったのがよかったのか
普通に知り合いだったのだ
以前はよく夜の街に飲みに出た
社内の情報に詳しく 重要なことのほとんどは社内で公になる前に知っていた
あまり競争ごとに関心のない自分にはどうでもいいことだったが
先輩の話は理路整然と因果関係を説き 真偽はわからないがエピソードをふまえ
さまざまな人間模様を語るので
それが楽しかったというのはあった
そんなことをすっと思い出す 笑い顔が不自然に歪んだような気がした
その先輩は昨年だったか定年になっていた
この景気なので ほとんどの社員はそのまま会社に残る道を選択する
同じ仕事を続けられるかはわからない ただ再就職などを考えることはない
今まで通り 生活の一部の時間を拘束され 多少の給与を得ることはできる
どの立場にいたとしても そこで普通のバイトのような扱いになる
とてもおもしろいもので その人たちは急に人が変わる
優しいというのではないが
なにか熱がさめた感じがする ただの年上に変身するのだ
自分に対してなのかもしれないが 間違いではないだろう
ただ 自分の名を呼んだ先輩はその道を選ばなかった
何かやりたいことがあったのだろうということで
話題にもならなかった
自分もその後の所在を知ることはなかった
ただの偶然なのか
ビールの量と酔いはまったく比例せずチグハグは気持ちが充満してきた
そういえば先輩はその昔 あいつと同じ職場にいたことがある
自分の名前を呼んだその声をあいつも聞いただろう
座ったまま背伸びのような格好でその先輩に頭を下げた
そのまま腰を浮かし テーブル席を見ることなくカウンターの奥へ歩いた
ほんの数歩であったがとても遠く感じた
先輩は一人で来ていたようだ どうみてもこの店の常連のような雰囲気だ
先輩の隣は用意されいたかのように空いていた
何もことわらず そこに座った
間をおかず飲みかけのビールなどが目の前に置かれた
やはり常連か
しかし一度もここへ来たことはなかった お互い見つけた大抵の店は一緒に来ているのに
ここは初めてだ
ましてや自分は店のある通りのこともよく知らなかったし
そもそも駅を降りてからの変な気持ちが整理もされておらず
どうしたらいいのかもまだ考えていないのだ
「元気か?」何かの水割りを一口含んでから先輩は言った
「なんとかやってます」外国で同じ国の人に会った気分だ ほっとしてもらした
「この店はずっと知ってたんですか?」
素朴な疑問だ
「ああ ここは自分の部屋みたいなもんだ 籠り部屋だよ
アトリエともいうかな」
何をかっこつけてるんだとは思ったが なるほどとも思った
ひとりになれる時間と場所というのはとても大切だと思う
それぞれ誰もそういうのを持ってるんだろうとは思う
自分もそうだ 大体 ひとりでいられるクルマなどはそういった場所だろう
ただあまり意識したことはなかったともいえる
雑踏のなかにいても一人を感じることができれば
どこにいても自分のなかに入ることができる
そう考えながらふとテーブルが気になった
もしあいつがほんとにあいつなら自分たちがこうしていれば
必ず気づくはずだ
とはいえ そもそも気づくという次元の問題ではないし
先輩に聞くことなどできるはずもない
もっといえば間違いなく自分より先にここにいた先輩が
気づいてないはずがない
少し気が楽になった ありがちな人間違いというやつだろう
先輩とは近況や定年後の暮らし 自分の転勤など
昔と同じように話をした
やっと気分よく酔いもまわってきた
口も最近になく軽やかだ
そして今日ここにいたるまでの不思議な感覚について
先輩にそれとなく話をした
先輩は笑みを浮かべて聞いていた
「で お前はどう思う?」
「単に疲れててたまたまそう思っただけだと思うんだけど」
「ほほうたまたまか」
どうも何かを知っているかのような先輩の言葉に引っかかった
「そうでしょう もうあいつがいるなんてことまで思ってしまって
どう考えてもおかしいですよ」
とうとうあいつのことまで言ってしまった
意識から消えていたテーブルの存在 どこかであいつと思ってしまっている自分
勘違いがまた頭をぐるぐる回り始めた
「その通りだよ」
「はっ?」
先輩のほうを向いていた姿勢から左に頭を回し 自分の左後方にあるテーブルが
横目の視界に入るまでそっと椅子ごと回転した
白い顔はまだある が こちらを見るでもなく誰かと話しを続けている
「うそだろう」 誰でも思うことだ
たとえ明日 他の会社の同期たちに話をしてもわかってくれるどころか
休暇をすすめられるだろう
「知ってたんですか?」先輩に向き直り 冷静を装い尋ねた
自分の今見たあいつかもしれないあいつはここで何してるんだ?
先輩はあいつが逝ってるのは知ってるはずだ
当時から先輩とはあまりあいつのことは話さなかった
情報通の先輩だから絶対にいろいろと耳に入れていたはずだ
自分がその話題に行かないようにしていたのかもしれない
たぶん先輩にはそうみえていたのだろう
「なんでいるんだろう?」 半分ひとりごとになっていた
先輩は少なくなった水割りのグラスを大きく傾け飲みほした
「何か探しに来てるんだそうだ でもあいつの目に俺たちは映っていない
俺たちが話しかけても俺たちのことはわからない」
他人になったということだろうか
よみがえるというのか いったん復帰なのか まだいってないのか
先輩の話しぶりに疑いは一切発生せず 自分はここで起きていることを
現実として受け入れるだけだった
ここに来て以来全く気付かなかったが
そこには 先輩がいた
今の会社での先輩だ 年はずいぶんと上なのだがなぜかよくしてもらっていた
ただ一度も同じ部署にいたことはない
個人的に業務上でのかかわりはなかったのがよかったのか
普通に知り合いだったのだ
以前はよく夜の街に飲みに出た
社内の情報に詳しく 重要なことのほとんどは社内で公になる前に知っていた
あまり競争ごとに関心のない自分にはどうでもいいことだったが
先輩の話は理路整然と因果関係を説き 真偽はわからないがエピソードをふまえ
さまざまな人間模様を語るので
それが楽しかったというのはあった
そんなことをすっと思い出す 笑い顔が不自然に歪んだような気がした
その先輩は昨年だったか定年になっていた
この景気なので ほとんどの社員はそのまま会社に残る道を選択する
同じ仕事を続けられるかはわからない ただ再就職などを考えることはない
今まで通り 生活の一部の時間を拘束され 多少の給与を得ることはできる
どの立場にいたとしても そこで普通のバイトのような扱いになる
とてもおもしろいもので その人たちは急に人が変わる
優しいというのではないが
なにか熱がさめた感じがする ただの年上に変身するのだ
自分に対してなのかもしれないが 間違いではないだろう
ただ 自分の名を呼んだ先輩はその道を選ばなかった
何かやりたいことがあったのだろうということで
話題にもならなかった
自分もその後の所在を知ることはなかった
ただの偶然なのか
ビールの量と酔いはまったく比例せずチグハグは気持ちが充満してきた
そういえば先輩はその昔 あいつと同じ職場にいたことがある
自分の名前を呼んだその声をあいつも聞いただろう
座ったまま背伸びのような格好でその先輩に頭を下げた
そのまま腰を浮かし テーブル席を見ることなくカウンターの奥へ歩いた
ほんの数歩であったがとても遠く感じた
先輩は一人で来ていたようだ どうみてもこの店の常連のような雰囲気だ
先輩の隣は用意されいたかのように空いていた
何もことわらず そこに座った
間をおかず飲みかけのビールなどが目の前に置かれた
やはり常連か
しかし一度もここへ来たことはなかった お互い見つけた大抵の店は一緒に来ているのに
ここは初めてだ
ましてや自分は店のある通りのこともよく知らなかったし
そもそも駅を降りてからの変な気持ちが整理もされておらず
どうしたらいいのかもまだ考えていないのだ
「元気か?」何かの水割りを一口含んでから先輩は言った
「なんとかやってます」外国で同じ国の人に会った気分だ ほっとしてもらした
「この店はずっと知ってたんですか?」
素朴な疑問だ
「ああ ここは自分の部屋みたいなもんだ 籠り部屋だよ
アトリエともいうかな」
何をかっこつけてるんだとは思ったが なるほどとも思った
ひとりになれる時間と場所というのはとても大切だと思う
それぞれ誰もそういうのを持ってるんだろうとは思う
自分もそうだ 大体 ひとりでいられるクルマなどはそういった場所だろう
ただあまり意識したことはなかったともいえる
雑踏のなかにいても一人を感じることができれば
どこにいても自分のなかに入ることができる
そう考えながらふとテーブルが気になった
もしあいつがほんとにあいつなら自分たちがこうしていれば
必ず気づくはずだ
とはいえ そもそも気づくという次元の問題ではないし
先輩に聞くことなどできるはずもない
もっといえば間違いなく自分より先にここにいた先輩が
気づいてないはずがない
少し気が楽になった ありがちな人間違いというやつだろう
先輩とは近況や定年後の暮らし 自分の転勤など
昔と同じように話をした
やっと気分よく酔いもまわってきた
口も最近になく軽やかだ
そして今日ここにいたるまでの不思議な感覚について
先輩にそれとなく話をした
先輩は笑みを浮かべて聞いていた
「で お前はどう思う?」
「単に疲れててたまたまそう思っただけだと思うんだけど」
「ほほうたまたまか」
どうも何かを知っているかのような先輩の言葉に引っかかった
「そうでしょう もうあいつがいるなんてことまで思ってしまって
どう考えてもおかしいですよ」
とうとうあいつのことまで言ってしまった
意識から消えていたテーブルの存在 どこかであいつと思ってしまっている自分
勘違いがまた頭をぐるぐる回り始めた
「その通りだよ」
「はっ?」
先輩のほうを向いていた姿勢から左に頭を回し 自分の左後方にあるテーブルが
横目の視界に入るまでそっと椅子ごと回転した
白い顔はまだある が こちらを見るでもなく誰かと話しを続けている
「うそだろう」 誰でも思うことだ
たとえ明日 他の会社の同期たちに話をしてもわかってくれるどころか
休暇をすすめられるだろう
「知ってたんですか?」先輩に向き直り 冷静を装い尋ねた
自分の今見たあいつかもしれないあいつはここで何してるんだ?
先輩はあいつが逝ってるのは知ってるはずだ
当時から先輩とはあまりあいつのことは話さなかった
情報通の先輩だから絶対にいろいろと耳に入れていたはずだ
自分がその話題に行かないようにしていたのかもしれない
たぶん先輩にはそうみえていたのだろう
「なんでいるんだろう?」 半分ひとりごとになっていた
先輩は少なくなった水割りのグラスを大きく傾け飲みほした
「何か探しに来てるんだそうだ でもあいつの目に俺たちは映っていない
俺たちが話しかけても俺たちのことはわからない」
他人になったということだろうか
よみがえるというのか いったん復帰なのか まだいってないのか
先輩の話しぶりに疑いは一切発生せず 自分はここで起きていることを
現実として受け入れるだけだった
2013年08月25日
道草 7
自分の癖というのは気がつかないことが多い
気がつかないからその存在まで考えることもない
多くは指摘され発覚あるいは発見するのだ
しかしそれを認めたとしてもそこから先はない
癖というのはだいたい良い意味でとらえることはない
知らずにしていた悪しき行為の代名詞が癖である
だから認めたところで悪いという意識をどこから起こさせるのか
まず本人からは立ち上がらないのだ
そして万が一悪いことだと認識しても
多くは開き直り それ以上聞こうとはしない
だから癖は癖で 永遠にそのままなのである
誰にでもひとつやふたつある
なくて七癖とも言われてきた
理性は癖をある程度までコントロールする
だから癖を見つけるのは少し深いところでもある
どこに手をやるとか首をかしげるとか
そんなんじゃなく 何かに対しての行為や対応について
理性や羞恥心が消えたとき
癖は見つけやすいだろう
だからきっと自分がどうありたいとか どのように見られているとか
そういうものは癖といってもいいのかもしれない
その癖が良性か悪性かは自分が決めるものではなく
すべて100%自分以外のものが決めるのである
存在というものは自分が思うものでなく
自分以外のものが認めた時点で始まるものであるともいえる
自分の存在を語るときにはそれは外の方向に向かってシグナルを
送っているのだ
癖をなくすと 存在すらどうでもよくなりはしないか心配でもある
だから癖を個性と呼び 互いに認め 時に修正し合いながら
存在を感じ 自分に取り込んでいるのである
それが自分の存在になる
結局は一人でどうこうというのはないってことか
いつだったかのあいつとの話だ
なぜかあいつは癖を指摘してきた
あいつの考えにのっとって
その頃の自分は どうでもいいといっても 自分への干渉には
ひどい嫌悪感をもっていたので
あいつの話に答えたくはなかった
きっとそれも 静かな水面に石を投げ込まれるようなものであった
そんな自分の態度で
その話は長く続くはずもなく
あいつのほうから切り上げたのを覚えている
それを正義と思われるのは困りものだとも思った
最後に出てきたのは「なぜ」
どうして自分が攻撃されなければいけないのか
気持ち悪さはしばらく続いたのを今も覚えている
そして今
先輩と偶然再会し飲んでいる
先輩の近況はまったく頭にはいっていないが
テーブル席には何かを探しにきたあいつ
一緒にいるのは誰?
いったい何を探してるのだろう
気になりだすとこれも悪い癖
自分の何かを探されているんじゃないかと
嫌な気分になってきた
先輩との会話も世間話に変わった
こんなこと話してる場合ではないと思いながら
不思議と冷静に対応している
日常の世界では考えられないことがおこっているというのに
怖いとかの感情はまったくない
そう いつもと違うのはそのシチュエーションだけで
それを受け入れれば 単にお店でのひとときというだけだ
すでに三杯めのビールを飲んで
さらにバーボンのソーダ割りを注文していた
酔いと冷静のはざまが徐々に狭くなっていく
こんな夜もありかと
この店に飛び込めた自分を少しうれしく思った
そのままどれくらいいたのだろう
気がつけば次の日の朝
すでにホームに立っていた
どうやって帰ったのか
そして今朝はどうやってここまできたのか
それより 家でその間 寝る以外に何してたのか
まったく記憶にない
昨日の店の記憶はある
あのあとあいつはどうしたんだろう
先輩は
終盤から記憶がおかしくなっているが
しっかりと思い出せる
通りだって あの店の看板だって
覚えてるぞ
自分に言い聞かせるように何度も
最初からひとつひとつたどってみたが
電車が着いて わんさかと人が降り
そのあとドサドサと乗り込む人の波に流されて
考えるのをやめてしまった
そしていつしか現実の世界
きょうの仕事のことで頭がいっぱいになって
夢のような昨夜のことは少しほったらかしになったのである
2013年10月24日
道草 8
いくつかの台風がこの秋は日本を襲った
そしてまた大きな台風がフィリピン沖で発生したと昼を食べた食堂のテレビが言っていた
すでに季節は周り そしてこの季節も次の幕へとかわりつつあった
社内は
相変わらず毎日の経済ニュースに一喜一憂し
会社への愚痴は毎日だ
でも自分には関係ない
ないわけがない 物が売れなきゃお払い箱だ
また営業に戻るか
無理だ わかっている
ずっと 自分をだましながらやってきた
責任がとても嫌だった
あげた実績は喜びのエネルギーにはならなかった
あるのは安堵
月のほとんどは不安と焦燥
どうやって仕事してたんだろう
自分を褒められるのはそこだろう
人は時間とともにその時間にも溶け込んでいく
環境は何だっていい
時間があればなんとかなるものだ
毎日の暮らし方も同じ筋肉をつかっていかに疲れないようにするかを
学習する
一時間電車に揺られるのは何とも感じなくなる
それと同時に恐ろしいことに時間の使い方もひどくなるのだ
何がひどいって 何もしようとしなくなる
頭の中に出てくるのは数年数十年前のことばかり
あるいは痛い思いをしていまだにドキドキしてしまうような映像
結局 今のためにつかうのは
燃費を考えた毎日の過ごし方だ
それにともない 徐々に町の景色も見えなくなっていた
本屋にもそうそう寄らない
通る道は同じだが 昨日まであった店がなくなっていても
気づくのは何日も経ってからという始末だ
あの店もそうだった
あれ以来 不思議と思い出すことはなかった
先日 同期から 同期の集まりを新年にやろうと
電話がかかってきても あいつとともに思い出すことはなかった
どうなったかなんて知らない
先輩はまだ行っているのだろうか
そして あいつは まだ何かを探しているのか
よく考えてみると おかしな体験だ
それが自然に忘れられるなんて 未知の力が働いているんだろうか
たまに一瞬 浮かんでは消えるの繰り返し
もしかして 沸騰している鍋のふたがカタカタとしている感覚か
蓋をしているのは何?誰?
自分で無意識に?
相変わらずどんよりとした空はいつ雨を降らそうかとぐんぐん低く迫ってくる
国道を走る車の音がいつもより大きく聞こえてくる
奥歯の噛み合わせがおかしい
こんな時は あまりいいこと期待しない方がいいな
腕時計を見ようと手首をぶるぶるとふるわせ左腕を胸の前にもってきた
「時間だ」
そのままオフィスに戻って仕事についた
そしてまた 鍋の火を消したように蓋は動かなくなった
日が暮れるまでまた
つまらないけど安心できる
今の仕事だ