2013年07月03日
道草 2

今までたいしたことをしてきたわけではない。
小学校から中学そして高校と
まあ、そこそこいいやつで通してきた自負はある。
いいやつが得をするとか、そんな打算ではないが
いいやつというのは、わるいやつより印象は薄いが
悪意も希釈されいて、ま 笑顔であいさつという感じで
恥ずかしいようなすがすがしさを醸し出す良い材料にはなっていた。
そのため、知り合いも多い。と思う。いや思った。今は違う。平均的。
まあ、世の中にあるものとの比較で評価というのは成り立つものだから、
自分の容量に対して、多いと思えばそれはそれでいいんだ。
何をやっても大成功はないけれど大失敗もなかった。
今となってはそれが大失敗の始まりだったのであるが。その点については
自然にわかってくるので、あえてここで説明はしない。
このあたりが、両端のないちくわなのだ。けしてちくわは悪くない。
社会にでたらそれはそれで、そつなく何でもこなしてきた。
ま、得意技がないということだ。
そうなると、出世も平均的。40くらいまではスルスルと周りのやつらに遅れないほどに
やってこられた。
まあ人並みに人生の機微も味わい、気が付いたら後半戦。それも試合終了間際。
サッカーでいえば
アディショナルタイムが気になる年頃だ。
気になるということはけして勝っていない。
今から頑張れば逆転できる点差でもない。
どちらかといえば追加点をあげられないようにどうしようかというところだ。
そう考えては「まいったなあ」と、苦笑いの毎日だ。
そもそも電車通勤だってそう。
いい年になって、あんな身のこなしをすることになるとは。
駅に近づき構内に吸い込まれる頃には、手にカードのパスを握りしめ、歩行スピードを
いかに落とさずあの改札を抜けようかと、毎回緊張しているのだ。
あと何年続くのかわからないけど、いつも乗る車両が決まり大体まわりの乗客も見たこと
ある人が増えてきて、でもたった4か月のうちに「お疲れですね」と声をかけたくなるほど
周囲が疲弊していくのを見ていると、おのれも同じ景色の一部なんだろうなと認めざる得ない
閉塞感がのどの奥をぐぐっと突っつくのがわかるのだ。
だから、あまり調子に乗って道中の風景を覚えたくはないのだけど、ある一時の高揚感で
きょろきょろしてしまうのだ。
人というのは都合がいいものある。
未来のことを考えるというのは希望に満ちたことだ。が
しかし、今浮かんでくるのは将来への何とも言えない不安であり何の保証も得られない
自分の人生なのである。 ロックンロール。
反逆の旗手。体制への抵抗。つまらない大人にはならない。
Don't trust over thirty.
まあ、十代二十代のころ熱狂の中、叫んでいたやつらだって
つぎの世代にバトンを渡す準備をしだしたし、いまだ拳あげてる同年代には
すごい!がんばって!応援してるよ!とか
何十年もプロ野球チームを応援するがごとく。
まだそんなとこにいるの?って、言われてるみたいだ。
というものの、別にハンギャクしてないし、テイコウもしてないんだけど、
その頃のステージライトにまだ憧憬の念が消えておらず、
どうも顔のしわに刻まれたように渋いふりをしているのが自分で密かに腹立たしいのだ。
それくらい未来というのはミイラと読みかえてしまいたいほど暗く、
その上このおやじ頭は現状打破をする勇気もないのである。
つらつらと未来への提言を唱えてきたが、雨の降りそうな今日この時間
見落としていた路地が目の前に現れて、知らないうちに子供の心がよみがえり
その道に入り込んでいっただけの話なのだ。
通り抜ければ気が済む。それだけだ。
そのつもりだったんだ。で
も、 その通りは人もいないのに妙に明るく感じた。道幅はどう二人連れどうしが
すれ違うのがやっとくらい。傘などさしてると骨の先がツンとあたって傘がくるっと
まわりそうな空間だった。
どうもいつか来たような気がする。
というのがお決まりだが、全然そんなことはなく初めての道をゆっくりと歩くのであった。
しかしこの道どこまでまっすぐ続くのだろうか。
道の先はかすんでよく見えないのだが、通りすぎようとする両脇の店や家の軒は
すーっと後ろへ過ぎていく。
ただ、少し向こうにやけに目立つ灯りの看板があるのがさっきからわかってはいた。
何の感慨もなくその灯りに向かって、急ぐわけでもなく歩いていったのであった。
空は真っ暗、遠くの繁華街の灯りを反射して灰色に見えていた。時折 誰かが
誰かを呼ぶ声が聞こえ、救急車のサイレンがかすかに流れるように聞こえてくる。
誰も歩いてない道、看板は徐々に近づいてきた。
つづく
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