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2014年09月18日

becoming 5

becoming 5



私の生家は街の中では中心的な鉄道の駅
その前に広がる繁華街の少し外れた問屋町
その当時はいろんな店があり 小売りの商売人
仲買人 近所の奥様方

それはとてもにぎわっていた

おおきな町
といっても面積だけのおはなしで
商売の中心はやはり駅周辺のこのあたり

私はそこで鮮魚を卸す問屋の娘として生まれた

その当時はいわゆる世界大戦開戦の前
まだ日本が騒々しさと世界へのいら立ちと
日本の未来を思い
思うが故の孤立を選んでいく頃

少しずつ私たちの暮らしも
我慢を第一訓として
国全体を何かの準備に知らずしらず
向かわされている頃だった

そして当たり前のように戦争がはじまった
親たちは何のための商売かと
近所の問屋さんたちとひそひそ話をし
私はその中で学校も行かせてもらい
食べるものにも困らず
幸せだったと思う

やがて敗戦
両親は見たこともないような顔で
毎日働いていた
私にもこの国の行く末を案じることの大切さが
わかったものだ

学校をでて しばらくは地方から野菜を仕入れる問屋へ奉公
帳簿をとっていた
その頃にその問屋の奥様に紹介された人と見合い結婚
可否も是非もない
私の主人は普通に鉄鋼関係の工場に勤める人だった

そのままその問屋をやめ
実家の仕事を手伝う

その頃は煙が空に昇るように毎日景気が上がっていくのがわかった
日々忙しさの中 私は浸りの子供を産み育てながら
実家を手伝っていた

実家を継いだのは私の兄
私より少しあとに来たお嫁さんは
おとなしいひとで
仕事の中では誰彼かまわず叱られていた

でもいつも笑顔の優しさにあふれるその人柄は
私もすこし嫉妬するほど憧れていた

そんな生活が何十年も続き
子供たちも学校をでて働き始め
私たち夫婦もすこしのゆとりが出てきたころ

主人は体調をくずした
がんだった

我慢強い主人は取り返しのつかないとこにくるまで
人には言わず 私にももちろん話さず
気づいた時には
親戚の人たちが私のその後のことを心配するほどになっていた

私はふと腰を下ろす間もなく
ひとりになった
もちろん子どもたちは支えになった
でもそれぞれの暮らしを第一にしなさいと

それまでの家を売り
ちいさな借家を借り住むことにした

川を渡った向こう岸
小さな町に家を借りた
三軒並んだ一番奥
それほど大きくはないがそれで十分
主人と少しずつためた貯金を切り崩し
少しばかり兄のいる実家の手伝いをし
静かに暮らすことに決めた


だれにも迷惑をかけないよう
小さなころからそんなことばかりを考えて
暮らしていたと思う

だからそこから先の人生も
自分で仕舞うようにしようと考えた



ただひとつ私には楽しみがあった
人生の趣味
人に自慢できるほどの深さはないが
花をみるのが好きだった

今までもずっと近くには花があった
一人で育てるにはそれほど多くは無理だ
一日二回ほどの水やりをできるくらいの花だ

でもそれで私の気持ちはどれだけ救われたか
物言わぬ花に話しかける
友と同じで たくさんの花は
いろんなところで比較してしまう

だからほんの庭先の花

それらがつぼみをつけたときは
静かに笑い
花を開くときには
一緒に喜び
その命を終え散っていくときには
ありがとうと心でつぶやく

花の名前は私には重要ではなかった
一生の終わりに花を咲かせ身を残していく
それを見届けるのが私だった

だから借家の前にも小さな花を並べた
ほんの少し
塀のない借家はそれだけで
十分一軒家としての体裁をあらわしたのだ

今年はひとりで十何回目の春を迎える
この春もいくつかの花と出会い命を分かちあう

その繰り返しが私を慰め
いつか彼の岸へ誘ってくれると思っていた





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Posted by びらーだ at 22:39
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