2014年05月01日
In this coutry
生まれたときのことは覚えていない
記憶にあるのはせいぜい三つか四つの頃か
たぶん編集しつくされた映像だ
自分のことは自らの中で肯定していく
否定的な言葉や行動も自分の中では肯定なのだ
そうやって半分ひねって生きていく
二十年という時間は
心のスクリーンでどんどんきれいな映像となっていく
自分の肯定は雨で地面が濡れていくように
映像を覆っていく
忘れるということは意識から消えるということか
年に一度だけ そのために記しつけられた日があるということは
思い出すという行為を
その消えた意識を肯定させるためのマイルストーンなのか
生きる限り巡る一日
今日も明日も
刻まれるべき日となることを知る
見えずとも聞こえる音を越えようと
果てなき加速は光とならん
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