2014年12月10日
僕の時間 10
クルマは
とても長い空白を
ゆっくりと思い出すように
通りを下る
変わってないとはいうものの
店や壁などはきれいだったり
汚かったり
ただ雰囲気は彼の住んでいた頃に近い
いいところだな と僕は思った
たぶん住んでいる人たちは
高齢になったり 彼みたいに出て行って
違う人が入ってきたりで
彼の知っている人は何人いるんだろうか
すでに日も沈み
ヘッドライトの灯りが澄んで見える
街のネオンも今日は特別な夜だから
早く帰りなさいと言っているようだ
彼は覚悟を決めたような顔とともに
幼いころに父親と釣りに行く時のような顔を
交互に見せていた
「あ あの先だよ」
緩いカーブを抜けると
彼のいた家はある
通りに沿って芝が歩道の両脇に敷かれ
高い木や低い花が並ぶ
家の前はそれぞれの手入れで
その家の人を表しているようだった
それぞれの家にはそれぞれにデコレーションが施され
天の国への道しるべのように静かに光っている
でも外なんかより家の中の暖かさを
光の漏れる窓から強烈に感じるのだった
すっかり暗くなった空の先がふわっと
明るくなっている
黄金の光がアーチのように空に向かって照っている
イブの夜だからそれほど混んではいない
そう こういう夜は家で静かに過ごすのが
このあたりの習慣だ
どの家も暖かな光が庭にかすかな
模様をうつしている
「ああ」
彼は思わず声を上げた
僕も彼と一緒にコーラスのように声を上げたのだが
僕の声は少し小さかった
家の前には背の高い木が植えてある
その木には様々な色の電球がつけられて
冷たい空気の中で熱を持って灯っているようだ
そして庭には神様がこの世界でみんなを祝福する
壮大で大げさではないものの
それを再現したかのように美しくデコレーションされていた
ひとつひとつが手作りのようなそのデコレーションは
それぞれの灯りが
僕と彼の人生を照らしているようだった
「これだよ」
彼の見たニュースはこのデコレーションだったのだ
これくらいのデコレーションはたくさんの家でもしているのにな
と 僕は一瞬思ったが 光の美しさを
彼と共有しようと 静かに見ていたのだった
無数の星が光る木は
彼が鉢植えをそのまま庭に植えたものだった
彼は静かにその木を見ていた
何かを取り戻すように 長い長い道のりの果ての今を
経験している
いつのまにか
僕も静かに来た道を思いながら
彼と一緒にその木を見ていた
すると
家のドアが静かに開いた
この家の家族だろう
小さな娘と息子そして
まだ若い夫婦
こちらへ楽しそうに微笑みながら歩いてくる
僕たちふたりが通りに立っているからだろう
こんな夜に男二人がデコレーションを見ているなんて
きっと異様だったに違いない
でも
声をかけてきたのはその家族だった
「メリークリスマス」
彼はただ微笑み
「素敵ですね、すいません 勝手に見ていました」
彼はまるで自分の親しい人に会ったかのように
優しくおだやかに言った
「いえ いいんですよ」主人が言った
「ええ そうよ みんなでつくったの」小さな娘も続けた
「素敵だね」彼は二人の子供にあらためて優しく語りかけた
「ありがとう」
子供たちは声をそろえた
そしてにっこりと笑った
「あ あの」彼がそう言おうとした時
「わかっていますよ」奥さんが言った
「え?」
「誰にでも幸せを受け取る権利があるんです」
えっ? 僕は彼の少し後ろに立ちその言葉を聞いた
この木のことを知っているのか?
ほんの少し静寂が流れた
世界から音が消えた
ただ小さく光る無数の光が
遠く宇宙へ誘うかのように
輝いている
「ああーっ」
声にならない声をあげ
次の瞬間
彼の目から突然涙があふれた
その涙はとどまることなく
次から次へと
もう彼は声にならない声で目頭を押さえ
肩を揺らしている
まるで小さな子供が
何年分もあわせて一度に泣いているようだった
その家族は優しく微笑んで彼を見ていた
それは僕にとっては理解の難しい出来事だった
彼のいた家だとは知らないはずだし
木の存在の理由もそうだ
でも 僕はすべてがきれいに消えていく感覚を覚えた
僕はとても冷静になっていた
そして彼の思いを僕なりにたどって
彼を見ていた
どんな奴だって いいことばっかではないから
でも僕自身と彼を比べることはしなかった
そんな気持ちは少しも起きなかった
知ることのない人それぞれの時間
それは誰でもそうだが
慟哭の波にさらわれそうになるほどの
時もあるはずだ
心が震える人生は良い人生なのか
一度の経験
これは彼の人生だし
僕は僕という人生を経験している
その夜のことは その後少しの間僕の中に
小さな穴を開けていた
でも彼に涙の理由や
そもそもあそこへ行こうとした本当の理由を
聞くことはなかった
彼は優しい笑顔で飛行機に乗った
僕は彼にもう二度と会えないような気がした
「ありがとう」
「こちらこそ」
搭乗の時間が近づいている
クリスマスの今日はとても良い天気
そしてとても深い青い空だ
その空へ彼はまもなく消えていく
「あの家族は優しかったな?」
昨日から何度となく言っていた言葉をまた繰り返した
「ああ」
僕はやはりどうしても
聞けずにいたことを思い切って尋ねた
「あの家族は知っていたんだろうか?」
彼は何も言わず口元を少し緩めて僕を見た
僕は耐え切れずまた口を開いた
「いい旅だった」
彼はそれには軽くうなずいた
そして固い握手と抱擁をして
彼は搭乗口へ消えていった
僕には様子がわからなかったが
あとで気がついたことがある
僕も夢なのか現実なのかわからない
そして僕はまだこの街にいる
数日後あの家に行ってみた
そのあたりの道はきれいに整備され
あの木はなかった
そして何年も前からあったかのように
そこには小さな花壇があった
とても不思議なことだが
とても澄んだ気持ちになった
彼の願いは叶ったのだろう
僕が受け入れれば何でもないこと
そして彼に伝えるのはやめておこうとも
思った
あの夜はなんだったのだろう
何かを受け取る権利を
すでに
僕ももらったようだ
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