2014年07月17日
after 8
文化を知ることは
その人のベースを理解することにもつながると思っている
ましてやその地で生まれ生きてきた人にとっては
習って得ることができない何かが培われているに違いないのだ
僕の生まれた国と彼の生まれた国
どちらもとても長い歴史がある
長さが素晴らしさに直結するものではないが
今も大切にしているということは
何か共通点があるのだろう
昔 ある国の博物館に行ったことがあるが
所蔵品には他国でつくられたものが少なくない
国の力は文化にも勢いと彩りを息づかせる
それを人は愛しいつまでも残す
この国の文化のひとつは音楽だ
造詣の深くない僕はこのあたり
なにひとつ話すことがない
つまり知識も経験もないから
単に知っている言葉やテレビなどで観たり聞いたりした
イメージを持っているに過ぎない
興味深いのは
その昔 音楽は創るというより
創らされていたということだろう
モノをつくるのは職人だ
音楽も職人に創らせていたのだろうか
現代のような感覚とは少し違う
することとさせることの違い
僕はふと考えた
彼と彼の奥さまと見たロッシーニに感動はしたけれど
する と させる ということ
この意味についての彼らの言葉が印象的だった
「する」というのは世界中誰でもが持てる意識であり
それを使って前に進んでいくのだ
「させる」というのは他動的な言葉ではあるが
あなたにそうさせるものは その人がすでに持っているモノ
あるいは思い描いているモノによってなされるのだ
能動的に考えたときには
そのあたりに世界でのそれぞれの特色などがでてくるのではないだろうか
なるほどと思った
選手と監督のそれぞれにあるベースの部分がちがうのであれば
理解も変わってくるのは当然なのだ
簡単だけど難しい
それを青年になってから
フィジカル的技術とともに習得していかなくてはいけないのだ
もしそうだとしたら
僕の国では 優劣ではなくてその性質から
今のポジションがあるということなのだろうか
オーケストラの壮大な音がずっと耳の奥で鳴っていた
それは彼らと別れたともしばらく続いた
僕はホテルに戻り
その夜遅くまで ワインを飲みながら
そのことについて思いを巡らせた
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