2014年06月07日
jingle
「表現欲ってのがあってね
それがあるときは次から次へと
あらゆるもんが浮かんでくるんだ
でもいつもあるわけじゃなくて
なおかつ絶対必要ということもないらしくて
ちょくちょく 他の重たいことがあったりすると
とたんにどっかにいっちゃうわけさ
そんなときの自分は街のガラスに映ってるのも
見たくなくなるんで
そりゃ たいへんしおれた感じになってんだろうな
ま
いいとかわるいとか別にして
そのあたりを能動的に出せる人が
アーティストの条件の一つなんじゃないかなと
思ったりするんだな
で また
その人の個性ってのは
レベルと色に置き換えられてしまって
いわゆる予定された調和とか期待が
あたりに充満していくようなんだな
毎度 そのあたりを外に出して
上手にくすぐることができるってのも
表現欲のひとつで
どこを覗いてもらいたいかって
それぞれみんな違うから
つまんないって言われたって
自分の欲を少しでも満たすところから
始めてけば いいんじゃないかな」
最初に会った時
表現は欲だ と彼は言った
おもしろいなと思った。
溢れる才能っていうのは
限りない欲望から生まれるというのは
かなり近いのだろうが
努力という欲とはまた違うエッセンスを感じた。
そんな彼も すでにいい年だ。
欲だけは暮らしていけないのは彼が一番理解しているのかもしれない。
とにかく生活は質素だ。
いや モノがないと言った方が正確だろう。
結局は資本 資金 資源がないから
最低限の道具をそろえるのもままならない。
ここでいう道具とは ペンやカメラやキャンバスなどの絵具と
自分の体力も含めておく。
どうやって活動し
世間をくすぐり 予定された調和や期待に応えていくのだろう。
その問いに彼は言った。
「待つことだ」
誰かが見つけてくれるのを待つのだろうか。
「違うよ
食べ物だって 育てて食べるってのは待つことでしょう
だから自分もそうしてるんだよ」
あれから十年
彼は名の知れたアーティストの仲間入りをした。
その間 ずっと会っているが
彼のそのスタンスは変わっていない。
いまだに何もない暮らしだ。
私は自分の来た道のなかで
それを人を計るモノサシにしていたことに
最近 気がついた。
目で見える変化や結果を求め
それを探し出し
評価に結び付けてきていたのであった。
人の生き方にそんなものは何の役にも立たない
彼を長年 追い続けてやっとわかりかけた答え。
平易な言葉では伝えにくい
語彙の貧しさに 自己嫌悪に陥る。
この世にあるモノはすべてが表現の最中にいることを
それはアタマの中の宇宙のほんの一部だということを
彼は黙って 表現しているのかもしれない。
(週末の午後 雨の合間のアトリエにて)
それがあるときは次から次へと
あらゆるもんが浮かんでくるんだ
でもいつもあるわけじゃなくて
なおかつ絶対必要ということもないらしくて
ちょくちょく 他の重たいことがあったりすると
とたんにどっかにいっちゃうわけさ
そんなときの自分は街のガラスに映ってるのも
見たくなくなるんで
そりゃ たいへんしおれた感じになってんだろうな
ま
いいとかわるいとか別にして
そのあたりを能動的に出せる人が
アーティストの条件の一つなんじゃないかなと
思ったりするんだな
で また
その人の個性ってのは
レベルと色に置き換えられてしまって
いわゆる予定された調和とか期待が
あたりに充満していくようなんだな
毎度 そのあたりを外に出して
上手にくすぐることができるってのも
表現欲のひとつで
どこを覗いてもらいたいかって
それぞれみんな違うから
つまんないって言われたって
自分の欲を少しでも満たすところから
始めてけば いいんじゃないかな」
最初に会った時
表現は欲だ と彼は言った
おもしろいなと思った。
溢れる才能っていうのは
限りない欲望から生まれるというのは
かなり近いのだろうが
努力という欲とはまた違うエッセンスを感じた。
そんな彼も すでにいい年だ。
欲だけは暮らしていけないのは彼が一番理解しているのかもしれない。
とにかく生活は質素だ。
いや モノがないと言った方が正確だろう。
結局は資本 資金 資源がないから
最低限の道具をそろえるのもままならない。
ここでいう道具とは ペンやカメラやキャンバスなどの絵具と
自分の体力も含めておく。
どうやって活動し
世間をくすぐり 予定された調和や期待に応えていくのだろう。
その問いに彼は言った。
「待つことだ」
誰かが見つけてくれるのを待つのだろうか。
「違うよ
食べ物だって 育てて食べるってのは待つことでしょう
だから自分もそうしてるんだよ」
あれから十年
彼は名の知れたアーティストの仲間入りをした。
その間 ずっと会っているが
彼のそのスタンスは変わっていない。
いまだに何もない暮らしだ。
私は自分の来た道のなかで
それを人を計るモノサシにしていたことに
最近 気がついた。
目で見える変化や結果を求め
それを探し出し
評価に結び付けてきていたのであった。
人の生き方にそんなものは何の役にも立たない
彼を長年 追い続けてやっとわかりかけた答え。
平易な言葉では伝えにくい
語彙の貧しさに 自己嫌悪に陥る。
この世にあるモノはすべてが表現の最中にいることを
それはアタマの中の宇宙のほんの一部だということを
彼は黙って 表現しているのかもしれない。
(週末の午後 雨の合間のアトリエにて)
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