2014年04月19日
椅子

その爺さんはいつもそこに座っていた
最近は少し不定期でいない時も多くなっていたが
雨の日以外は夕方 そこに座っていた
僕が生まれたころは その爺さんは働き盛りだった
春先から油のついた半そでシャツでグッと盛り上がった
肩から二の腕がカッコよかったようだ
でも知っていたわけではない
ふと僕の心に残り始めたのは僕が小学校に入ったころだった
通学路の途中に工場がある
何を作っているのかはわからなかったが
工場の中からは少し大きな音がしていたのを覚えている
通学の行き帰りにその爺さん いやお兄さんを見たことはなかった
家に帰りランドセルを投げだして友達と遊びに行った
その帰りのことだ
その頃だから多分5時くらいだろう
秋冬は暗くなってしまうので外での記憶は少ない
春になり日が伸びて夏が終わり夕焼けがきれいに僕の影を彩るころまで
その爺さんの姿が残っているのだ
いつもの時間 そこに座って一服していた
まだ二十代だっただろう
ある時は一人で ある時はその工場の人たちと
ある時は背広姿の人と そしてある時は女の人と
笑ってるときもあった 怖い顔して話してるときもあった
一人でどこかを見てるような時もあった
小学校の低学年の頃は
友達とそこを通るとき挨拶くらいはしただろう
でも知り合いでもないし家に帰って母に報告することもなく
たまに見るその爺さん 当時はおにいさんは
ほんのちょっとだけさらにはたまにしか僕の意識に刻まれることはなかった
だからいつもは思い出すことなんてまるでなかった
名前も知らない
住んでるところなんてもっとわからなかった
あまり知ろうとも思わなかったのだけど
中学に入ってからは
思い出すことはなかった
人間というのは今思うとあまりに滑稽だ
人への興味は十代半ばから急激にその向きを変え
そこで探す好みの色も変わっていった
あまりに年の離れていた人のことは
自分の人生に関係ないというぐらい距離を離していた
せいぜい同じ学校での上下一歳か二歳の範囲で
子供の群れに自分を置いていたのだ
これが十代特有の習性なのだろう
働き始めて
考えられないくらいに年の離れた人たちの世界に放り出された
いつも何も無しから新しい環境は始まる
わかってはいるけれど
それをもっともっと若いころに多少感じることができたらよかったのに
と
今になっても苦い思いで振り返る
でも誰一人そんなことわからないのだと
当たり前のことにあきらめのため息をつくのだ
何かの拍子でその時間にそこを通ると
その爺さんはそこにいた
もう何十年にもなる
わざわざこうして思い出しているのは
僕ももう勤めもお役御免になり
時間てこんなにあったのかと思うくらい
自分の好きに使える立場になったからでもある
実際時間というのは余ったり伸びたりすることはないのだが
することがない時間というのを
余ったと結論付けているだけだ
そうすると僕もその時間に
何かをしようと意気込んでみたりした
でも それも二日か三日くらいのこと
意気込んでみたことが一週間もすると
おかしな義務感に苛まれる
で結局は自然に時間を埋めることを
やめていってしまう
だからすべてをゆっくりとしようと考えた
一分を十分に 三十分を一時間に
そうすれば僕の充実した今日の出来事というのは
ビヨビヨに伸びた輪ゴムみたいになって
一日のタイムテーブルの長さになんとなく合わせることができる
これはある意味正解だった
少ない用事で一日過ごす
これが僕のモットーにもなってしまった
ただダメな初老者というだけかも知れないが
その爺さん
先日も座っていた
僕は思い出したように夕方
散歩をした
結局歩く道は当時の通学路
すこし道幅や曲がり具合が変わって
現代道路になっている
自分の芸のなさにも少し辟易しながらも
歩いた
その工場は建物だけはあるが
もう操業していないようだ
建物は不思議なもので営みがなくなるだけで
急に傷みだす
窓はくすんで壁は所々崩れていた
ただそこから見えるあの椅子はまだあったのだ
その爺さんが座っていたのだからあるのは当たり前なのだが
そこだけは足元のコンクリートもちょっと白くきれいな感じ
灰皿は傾き錆た一斗缶だが まだ使っている
その爺さんは一人 どこを見ているのかわからないが
銅像のように静かにしていた
左の指に挟まれたタバコからの煙だけがその景色の中で
唯一動いていた
そういえば少し前に近所の人に聞いたことがあった
その爺さんはその工場の主人だったようだ
僕の生まれたころはその爺さんの親父さんがまだいて
数人の従業員とともに働いていたようだった
それからその爺さんの親父さんが亡くなりおふくろさんも亡くなって
その爺さんがずっと主人としてやってきていたらしい
従業員も何十年か前の不況の時にやめていってしまってからは
機械を減らしてでもその工場で一人やっていたようだ
もちろん家族はいた
奥さんは二十代のころその工場にきたそうだ
もしかしたら僕が子供の時見た女の人だったのかもしれない
子供は二人いたがどちらももう独立してどこかで暮らしている
しばらくは奥さんんと二人で工場をやっていたが
ほんの三年前くらいに廃業したということ
それは奥さんがそのしばらく前から体の調子を崩して
仕事も家のことも上手にできないようになってしまったのが原因らしい
不景気とかで仕事もそれほどなかったのも決心できた理由でもあったようだ
その爺さん
病気になるのが奥さんだったのが信じられなかったらしい
工場で油まみれの自分の方が必ず動けなくなる日が先に来ると
当然のように思っていたのに
とても申し訳ないような顔して近所の人にぽつぽつと
話してくれたようだ
こんなはずじゃなかったって言ってたそうだ
しばらくはそういう生活が続いたようだけど
唯一の夕方の時間はなくすことがなかったみたいだ
だって僕はその頃にもその爺さんを見かけているから
それからその爺さんは奥さんを送って
一人になって 今に至っているようだ
どんなことを考えているのかはわからないけど
毎日 夕方のあの椅子でたばこをくゆらし
奥さんと話ししたりしていた
毎日だから時間がすべてつながっている
その時々の何かのきっかけが
自分の年や思いをずっと留めておいてくれている
働き出した時 結婚した時 子供が生まれた時
親が逝った時 仕事をたたんだ時
最も近くにいた人を亡くした時
毎日の夕方は時間が余っていたんじゃないんだ
あの椅子はその爺さんの日記だったんだ
ひとりの時間が
生まれてからずっとつながって
いつか止まる時が来る
きっともういいさってその爺さんは思っているのだろうか
苦しんだり悲しんだり老いたりがなければ
きっともっともっとまだ足りないって思うんだよ
でももういいじゃん
ていうくらいいいこともそうでないこともあったんだからね
自然にその時がくるんだよね
僕も同じように時間をつなげている
自分に置き換え その爺さんの思いをたぶん代弁した
自分にはそうやって培ってきたものがない
何かをつなげてきたモノなんて何もない
その上時間が余ったなんて思っている
この年になってもだ
それでもいいさ
その爺さんが言ってくれたのか
そんな気持ちにもなった
きょうも夕方思いつきで散歩に出た
いつもの通学路を散歩道に指定する
工場の前
椅子はもうない
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。