2014年04月16日
真夜中のビール
一面の雲に街の明かりが反射してぼんやりと灰色が空いっぱいに広がっている
今にも降り出しそうな雰囲気だ
雨の前は意外とわかりやすい
そこそこ暖かくて風も弱々しいからだ
いつからかそんな予想もするようになってしまった
特に降ったからといって何かが変わることはないのだが
何気なしに空を見てそんなことを考えるようになっていた
不思議と空を見上げると助けられる気持ちになる
いつか空からゴンドラみたいなものが降りてきて
すっと引き揚げられる
そして
とてつもなくどうしようもない気持ちを地上に置き去りにできるんではないかと
想像するようになったのだ
そうすると雨の日にはゴンドラは少しやっかいだ
晴れた日でなくてはいけないな
と
それらがねじり合って雨予想をするようになったのだろう
勇太はいつものように仕事からの帰り道を
日課のようにちらちらと空を見ながら車を走らせていた
今の仕事は
もうすでに10年を少し超えていた
あまり根気があるとは言えなかったが
何となく今まで働いている
勇太は特に器用でもない かといって物覚えが悪いわけでもなかった
人柄はそこそこ人当たりも良く
取引先からもそれなりに信頼され 注文もコンスタントにとっていた
ただこの数か月 勇太は少し元気がなかった
時々 じっと考え込むように一点を見つめることがあった
周りの人たちから見れば それほど変わり映えがしないようだったが
彼の中では突然の風にあわてて帽子を押さえるような
緊張とそこからくる疲れがたまっていたのだ
なぜなのかは推測できていた
それは
昨年の秋ごろの話だ
勇太の親は一緒には住んでいない
勤めだして三年目に一人アパートを借りた
独り立ちというよりもその仕事の勤務時間が問題だった
土曜日曜は関係なし
休みは週一回 曜日も決まっていない
出勤は昼過ぎで 終わるのは午前一時か二時
それから帰って寝て
朝はいったん七時に起きる
これが曲者で 二度寝がなかなかできない
そうするとあっという間に出勤時間になる
これは勇太の問題ではなく
一緒に住んでいた家族の時間割を崩すことになる
そのころ勇太の父親は働いていた
母親はパートにでていた
弟と妹がいるが 少し離れているので
今一番下が大学生だ
仕事の時間が半日ずれるということは
大したことではないと勇太は初めは思っていた
しかし少しずつ仕事に慣れていくうちに
気づくと家族と顔を合わせることがほとんどなくなっていたのだ
季節で変わっていく家族の会話
少し大きく 大人になっていく弟や妹
自分に合わせて 夜中に起きてくる母親
時間が全くかみ合わず週に一度も見ることのない父親
父親からすれば同じことを勇太に対して思っていただろう
それならと 自分の時間を自分で使うことを選び
ひとり暮らしを始めたというわけだ
不定期の休みも 気にせず
突然実家に戻っても いい
そこで寝たり食べたりしなければ みんな気軽になるんじゃないか
勇太はそんなことも考えた
勇太の両親は さびしげな思いも一瞬のことで
それよりも自分たちの生活にリズム感が出てきたことが
嬉しかった
お互いが認めて我慢して協力しあう
それが家族というものだろう
ただ現実をみれば
カラダとキが楽なら その方がいい
それぞれがそれぞれの時間を
自分のやり方で使っていく
勇太も家族も 心の底では 楽ではあったのだ
そんなことから十年近く経っていた
その夜は暑かった夏をやり過ごし
夜は半そででは少し寒く感じた
いつもはまっすぐアパートに帰る勇太は
久しぶりに実家に寄った
こんな遅くに突然帰るのは ちょっと迷惑とは思ったが
戻らなければいけない理由ができたのだ
実家には勇太の部屋はそのままになっていた
片付いてはいるが 持ち物は大半が押し入れや棚に残っていた
その中にある 名前はよくわからないが「何とか保険」の証券が必要だったのだ
昼間 会社に保険会社から電話があった
勤め始めてから加入した保険
それが十年を迎えて更新手続きをしなくてはいけないというものだった
たいした用事ではないが
保険なんて まったく関心がなかった勇太は
その電話で 今までの自分とこれからの自分
そして うんと先の自分のことを 考えてみましょうといわれたのだ
そういえば自分も それなりにいい年だと感じていた
体力というよりも思考に変化があったとつくづく感じる
冒険より巡回 一発よりも反復
人生を大切にしているのか何かを怖がっているのか
おかしな気持ちが 時として頭を埋めることがしばしばでてきたのだ
街灯はあまりない
蛍光灯の光は白く 力強さもなく
通りの向こうはぼんやりとしか見えない
クルマのライトに茂みに飛び込むネコ
何かが詰まっていて口を縛ってあるコンビニの袋が電柱の脇に転がっている
その夜も雲が空一面を覆っていた
遠くの街の灯を反射して鈍い鉛色になっていた
静かに車を停めた
実家にはありがたいことにまだスペースがある
都会ではそうはいかないだろう
突然の帰宅でも なんとでもなるありがたさに
すこし安心感を覚えた
玄関の灯りが勇太を迎えた
息を止めて鍵をまわし玄関をあけた
少し埃っぽい匂い
妙に懐かしさがよみがえる
古くなってきた冷蔵庫から微かにうねり音が聞こえてくる
静かだった
当然 みんな寝ている
台所は流しの上の蛍光灯がついている
昔と変わらず そこそこきれいに片付いていた
自分の部屋に行き 保険の証券を探しだした
そこで
仕事が終わってから何も口にしていないのに気がついた
急にのどの渇きをおぼえた
台所に入り 水道の水を飲んでもよかったがなんとなく冷蔵庫をあけてみた
今日の夕飯の残りがきれいにラップをかけて置いてある
思ったより何もない
たぶん弟たちも家ではあまり食べなくなったんだろう
勇太は探偵のように推理しながら
中をしばらく見ていた
トビラの棚にビールがあった
家では誰も飲まないのに どういうわけか缶ビールがはいっている
夏の名残か
いつから入っているのかわかるわけがない
それをしばらく眺めていた
飲めば帰れなくなる
当たり前のことを考えたが
それと同時にそのビールになぜか手を伸ばしていた
極力音をたてないようにプルトップをあげる
シュッという音
ギリギリと缶の頭を開けていく
とても冷えている
ひと息に口いっぱいになるまで流し込んだ
しばらくそのままにして 一気に飲み込んだ
チクチクと刺激が走る
空腹にはあまりに刺激が強かった
のどから胃にかけて氷をあてたように
カラダの芯が一瞬固まったようだった
そのまま 飲み干した
それほどアルコールが好きな方ではなかった
ただアパートに帰る途中
気分が乗れば コンビニで缶ビールを買って帰るぐらいだ
いつも冷蔵庫に入っているわけではない
勇太はそのあたりすこしこだわりがあった
ビールやお茶など
その手のものはいつも冷蔵庫にいれていないのだ
欲しいときに欲しいだけを買って帰る
食べ物でもそうだった
夕飯の残りを冷蔵庫へ入れると
二度と手を付けないことがよくあった
経済的でないし効率的でもない
こだわりというには 少し変わっている
だが特にこうだと主張するものもなかった
それでももったいなさから冷蔵庫にはもう食べないものがけっこう入っている
これはこだわりではなくて癖だ
悪癖
アパートに戻るつもりで実家に帰り
たまたま開けたいつのモノかも知れない冷蔵庫のビールを飲んだ
これは勇太にとっては 少し勇気のいる出来事だったのだ
だが彼はそんなこと微塵も考えていなかった
今からアパートに戻ることに躊躇していたのかもしれない
あるいは帰る意思をなくしたかのようだった
音をたてないようにテーブルにしっかりともぐっている椅子を
持ち上げるように引き出し
ゆっくりと斜めに座った
背筋をぐっと伸ばした後
背もたれに寄り掛かった
一気に全身の力が抜けていった
とたんに
カラダのアチコチから痛みが湧いてきた
軽く深呼吸をして
もう一度立ち上がり 冷蔵庫にあったビールをまた一つ取り出した
そして今度は真っ直ぐ椅子に腰かけ
背中を伸ばすほどに背もたれに体重を預けた
もう立てないな と勇太はひとり顔を緩め自分を笑った
あたりが明るくなるまでにはまだ時間がある
二本目の缶ビールを味わうようにゆっくりと飲みながら
いろんな事を考えた
疲れたカラダに酔いは心地よくまわった
自分でページをめくるように
さまざまなことを意識に写し
それについて自分の来た道
そして行くべき道について ぼんやりと考える
そんなことを幾度となく繰り返した
深い深い水が徐々に青さを増していく
最後には黒い漆黒の世界がずっと続く
その先にはまだ何かあるのだろうか
光のあるところへ行くには 戻るしかないのか
進むしかできない時間や人生は
黒になったらおしまいなのか
いままで整然と積み上げていた荷物が
一つずれただけで すべてが崩れ落ちる
積み上げようにももうバラバラだ
そのままにしてその場を去るか
積み直せるのかわからないがその場に留まって
手を付けるのか
考えるうちに大抵は視界から消えるほど遠くへ来ているものだ
見て見ぬふりをすれば「リセット」として仕舞い込める
勇太はその葛藤に意識が遠のいた
灰色の空からゴンドラが降りてくればいい
それに飛び乗るだけだ
不思議と気持ちがいい
眠りに入る瞬間はコントロールできない
行ったり来たりする意識
答えの出ないまま
その場で眠ってしまった
明け方は黒から濃紺の空へ
気づくたびに変化していく
はっと目を覚ました勇太は
椅子の上でそっと背伸びした
座りながら寝てしまうのは余計に疲れた
ただ頭は少しスッキリとした
テーブルにメモを残し
自分の部屋に行った
押し入れから防虫剤の香りのする毛布を取り出した
マットだけが残るベッドに横になる
どの道を行ってもどの道を選んでも
今の自分には歩いているこの道しか見えないな
ふと消印にもあきらめにも聞こえるその場の答えをだしてみた
隣のレーンに移ることはもうできない
もはや巡航スピードで進んでいるのだ
その答えに理由をつけようとしていた
初めて立ち止まりたいと感じた
十年以上前の家具や机や本に囲まれて
もう動けないとも感じていた
小さなきっかけで彼の中でどんどん育っていくもの
自分自身の正しさを追い求める当たり前の感情
走り出してからも行き先を確認する不安
ふと
目を開けるたびに青が戻ってきている
もうすぐ朝が来る
何かの境目は何かの引力にひきつけられるように
加速していく
朝がくれば光はゆっくりと感じられる
また夜になるとき
青は加速して黒へ飛び込んでいく
深まっていく眠気は
ひととき黒の世界を無の世界へ変えてくれる
重さは日々増していく
ただ今の彼はそれさえも振り切り
どこまでも眠りの中へ消えていくのだった
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