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2014年04月10日

滿汐

滿汐


思い切り引いたけど
ビクともしない

私のこの小さな手から湧く力は
目の前いっぱいに広がる壁を
開けることができると思っていたんだが

その店はいつの間にかなくなっていた
歩道もなく車がすれ違うのも難しいほどの通り
その道に面してすぐに入り口のある店だ

いつからあるのかはよくわからない
でも僕らは上級生から順番に ある年齢になると
そこに行くようになった

初めていった時のことはまったく覚えていない
たぶん誰かに連れて行かれて小さいながらにドキドキしながら
行ったとは推測できる

ただ何も持たずに行くと 恐ろしく惨めな気持ちにもなる
何円か何十円かをポケットにいれて行かなくてはいけない
それは当たり前のことだが
意外と多くのやつらが 何も無しに来ていたと思う
僕も同じだった
今こうしているのとはわけが違う
毎日二十円とか親にもらえるというのは
まずは理想に近い形であって
たいていは週に一日か二日
小言を言われながらも手を出して
乗せてもらった十円玉を何枚かを
大事に握りしめ
ただ走ってその店に向かうのだ

その時
手についた十円玉の匂いは
それまで遊んでいた虫や魚や草や花とは
全く異次元で
金属の冷たさや色と重なって
そのあと何年も手の中に残っていた

ただ一度だけ
今も忘れられない出来事がある
その店には
僕らはあまり一人で行くことはなかった
遊びのスケジュールの一つであり
ひとりで行くというのは
怖くもあり大人の人とお金のやり取りを
するのも少し気が引けるところもあったのだ

その日は風が強かった
たまに雨も風に乗って家の窓に
ぽつぽつと丸印をつけていた
日曜日だったと思う

そんな日はどこにも行けないし
誰も来ない

朝からどんよりとその日の空と同じ色あいの気持ちで
窓の外を眺めていた

その時にふと思い出した
その店には小さな本棚があって
漫画や雑誌を売っていた
それもそんなに種類や冊数があるのではなく
売れているのかも 
僕らにはまったく関係のないことであった

店にしても そんなことはわかっていたのか
その本棚は店の入り口を入って左側の隅に
邪魔そうに置いていた
本棚の前には 仕入れてきたのだろう
中にあるいろいろな菓子やくじ引きなどの入った
段ボールが置いてあった
そして それを店に並べても段ボールはそのまま
になっていることもあった

ある日 僕はその本棚に差し込んである
漫画が目に入ったのだ
新しい本というのは四隅がきっちりとくっついていて
シャキッと立っている固いイメージがあったのだが
その漫画は左の上のページの角がこっちに傾いていて
全体に柔らかそうな雰囲気だった

手に取ることはなかったが
その週は
同じその漫画の存在に二回ほど
それとなくページの垂れ具合を確認したと思う

それが個の風雨の日曜日に
ふと頭の中に浮かんできたのだ

そうなると 外に吹く風のように
僕の気持ちはそわそわと大きく揺らぐ
庭先の草のように
落ち着かなくなっていったのだ

「ちょっと買いに行きたいんだけど」
唐突に母に話しかけた
「何を?」
母は洗濯物を干せないいらだちからなのか
少し低い声で聞いてきた
「ほん」
漫画と言わなかったのは
幼い心にも きっと要望の聞き入れを
期待してのことだったのだろう
「なんのほん?」
当然のように聞き返す母
「図鑑みたいのがお店にあったんだけど
それが見たい」
絵が描いてあるから図鑑でも同じだろう
しかし本の格からいえば
漫画というより図鑑だろう

小さいころは難しい言葉をつかえば
それだけで高級だと思っていたのだ

「高いんでしょ」
やはり値段だ
そりゃ いつも何十円の世界にいる子が
突然 図鑑とくれば
怪しむよりも値段だろう
「たぶん三百円」

「・・・」

たぶん三十分ほど
やり取りしたと思う
知っている限りの知識で
説得した

なんでこんな漫画に入れ込むのか
わからない
中身も知らない漫画だ
だから今でも覚えているのだが

五百円札を一枚もって
今にも本降りになりそうな中
自転車を走らせた

風は少し弱くなったので外出許可もでた

細い道へ 角を曲がると
その店には誰もいなかった
すぐにわかる
店の前に
自転車が一台もない

いつもは雑然と数台が置いてある
自転車を立てるのが待ちきれない奴は
道のすみにそのまま寝かせているのもいる

蛍光灯の光が道の方へ淡く伸びている

ガラッと思いドアを開けた
やはり誰もいない
お店の人も奥の居間にいるようだ

しばらく待っていたが
誰も来ないので
「こんにちは」
と店の奥に言ってみた

聞こえなかっただろうなとは思った
小さな声というのが自分でもわかった
一人で来るのは初めてだ

少し息を吸い込んで
「こんにちはー」
店の奥に足を進めて
今度はさっきより確かに大きな声で
言った

奥の方からガタガタと
音がした
よかった 聞こえた
と少し安心した

が 肝心の買い物が残っている

すぐに本棚の前に行き
その漫画を確認した
まだある
すでにページは寝ているようで
中の絵が見えている

すっとそれに手を伸ばした
「これちょーだい」
いらっしゃいと言いながら出てきていた
店のおばさんは
すこし戸惑ったような顔をした

「古いけどいいの?」
意味が分からなかったが
頷いた
「本はね おまけができないのよ
ごめんね」
五百円札を出した僕に
おつりを手渡してくれながら
困ったような顔をして言った
「ありがとね」

僕は頭をさっと下げ
ガラッと重たい戸をあけ
素早く両手でしめた

そして自転車のハンドルの前にあるカゴに
その漫画をそっといれ
ペダルを思い切り踏んで家に帰った

そのあとのことはもう覚えていない
その漫画の内容も何一つ思い出せない
漫画の値段もわからなければ おつりもどうしたのか
さっぱり思い出せない

僕の中に残っているのは
寂しげな風の音や曇空
店へ続く細い道
そして お店のおばさんの声
どんな顔かはもう浮かんでこない

家に戻って
僕は何をしたのか
母にどう報告したのか
その夜のご飯はなんだったのか
すべて消えてしまった

何年かにふと
思い出すことだ





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