2014年03月01日
飛行
オイ飛んでる飛んでるゼッタイ飛んでる
ファインダーを覗きながらあいつは言った
俺たちは10年以上前からあるモノを探し
それをカメラに収めようと時間を作っては
情報を集めあちこちへ出かけていた
今こんな話をしているということだから
この十年の成果はすぐ想像がつくだろう
それでも俺たち二人だけで追いかけまわした時間は
川の石が転がって最後に細かな砂になっていくように
二人の暮らしや生き方を変えていった
でも少しあいつの方が深く入り込んでいる
俺たちは初めのころはお互いの熱だけで
動いていたしどちらかが燃え盛るという感じではなかった
当時は一つの火だったのだ
それが今は俺の火種は燃え尽きそうなくらいに細り
きっと燃やすべき燃料も底をついているのだと思う
でもあいつは
青白く高温で目に見えないほどに静かに
そして熱くなっている
火はふたつになり確実に違いがあらわれている
遠くから見れば俺の方が明るく見えるだろう
たわいもないことだった
俺たちはひょんなことから知り合った
付き合いはこの時だけ
連絡もこの件だけ
しかし一度出かけると数日から
長いと数か月一緒にいることになる
河原の石の上 無人駅の待合
大都会のビルの裏道
零下数十度の山の中
あらゆるところで過ごす
そしてその瞬間を待ち続ける
ここまでやってこれたのは
お互いの分担がある程度できていたからだろう
同じことを同時にするということはどこかで
負担になってくるものだ
互いのやり方が衝突しない
人間としてここまでこれたのは
交わる部分が適正だったとしか言いようがない
まともな人間ではないだろう
それもそうだ
それでも俺は社会的な活動も
いわゆる平均的な一般的な生活も
手に入れることができた
火が弱くなったのはこんなことも理由の一つかもしれない
あいつは何も変わっていない
出発は同じ持ち物だったが 途中で
靴も服も 食べるものも欲しがるものも
変わっていったのだ
この二年くらいはこういう旅が少し重く感じるようになった
ただ放たれてしまえば感覚は戻ってくるのだが
準備を面倒に思うようになってしまった
いつかはあいつを一人にさせてしまうだろうという
感情が徐々に育っていた
義務という言葉はあまり好きではないが
一番近いのだろう
今回あいつから連絡を受けたとき
言いだしそうになったのだが
黙って出かけたのも事実だ
時の流れはここまで人の心を洗っていくのだと
敗北感に似た苦さがせりあがってきたのだ
しかし今日いまここであいつは十年以上
自分の時間を捧げてきたモノにたどり着こうとしている
一観衆として感動している俺は
すでに終わってたなと確信できたのだ
この時を迎え
喜びよりもやっと自分を解放できるという
安堵案が満たされていった
知らなかったけど
どうやらあいつも同じだったようだ
人生をかけてきたものはとてつもなく大きなもの
そこに至る努力
犠牲を犠牲とは思わなかった
この日を目指していたのに
この日が今日だとは思ってなかった
来てほしくないとも思ってもいた
至上の満足感は
風船のように静かにしぼんでいく
今日までの長い時間が途端に愛おしくなった
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