2013年08月10日
Kaigo

長いこと付き合ってる友達がいる
この数年は会ってないが あまり気にもならなかった
近くに住んでるという理由で知り合ったわけではない
一応 試験受けて入った学校のクラスメートってやつだ
彼と長いこと話したのは最後に会った時のことだ
母親の話だ
それぞれに家族ももつ身にはそれだけで鼻の奥がぐっと詰まりそうになる
もうかれこれ10年近いのだろうか
彼の母親は認知症だ
最初は自分に降りかかってくることがどうしても信じられなかったらしい
少しずつ 不思議な行動と話しでそれとなく確信せざるをえなくなる
いよいよ病院の診察室の椅子に座った時には
誰とそこへ来たのかが答えられなかった
あまりに遅い自分の対応をまず彼は悔やんだそうだ
何年かかけて年老いていくと同時に
カラダの中の病気というやつは勢力を増していった
悔しさと何とも言えない焦燥感と寂しさ絶望感が毎日繰り返し
彼に突き刺さる
家に帰りたくなかった時代はそのあたりらしい
それでもいろんなことを試してみたりして
自分の責任を少しでも軽くしようとしていた
見て見ぬふりをする自分のカムフラージュだと
言っていた
ただそんなことでは一度大きくカーブを切った道から
戻ってくることはできない
わかっているのに何かをするということが
彼には嘘っぽく感じたらしい
周りの気持ちとは関係なく進行していく
毎日毎日ゆっくりと
ふと気づくととても遠くへ行ってしまっている母
だんだん彼は現実が大きくなって馬鹿な理想がしぼんでいったそうだ
自ら立ったり歩いたり食べたり排便したり
すべてに彼と彼の家族の力や気持ちがなければ生きていけなくなっていく母
母を抱いて抱き起したり一緒に歩いたり
おかゆを口に運んだりすることが日常になっていく中で彼自身が抱いた感情は
ずっと彼を苦しめている
水槽の金魚が泡をプクッとだすように
突如おそってくる嫌悪感
彼は母も自分も家族にさえもそんな感情を抱くことがあったとそれも正直に話してくれた
ところがそれは少し前までのことで 今はなんともないという
自分ではとても自然にそういったものへの接し方考え方が百パーセント変わったというのだ
彼にいわせるとそれはどんなに横着な考えでもいい
慣れたり義務だったり仕事にしたっていいと
毎日母の手をとり背中に手を回しシャツをよだれで濡らされ
おむつを取り替え
ほのかにする糞尿の匂いや年老いた体臭をかいでも
気持ちに波が立つことが少なくなった
大きな声をだされても腕を引っかかれるほどつかまれても
自分が息子で 名前も忘れられて
自分への笑顔よりデイサービスのスタッフの方への微笑みの方が
数倍良くたって
平常でいられる不思議な気持ちになっていると言うのだ
わからない
その状況に立ったことがないからわからない
その時はただ聞いていただけだった
家族を思う気持ちというのは
ただ愛するとか好きだとかだけでは気持ちが続かないのかも
健常に生きているからこその心持と違わなくても
ある場所が別のところじゃないのか
そこにきっと鍵が隠されているのかもしれないな
その彼の気持ちをその時はあきらめじゃないかと感じたのだった
その後会ってない彼はどうしているのだろうか
連絡はとってないが
きょうもお母さんの世話をやいてるのか
そういえば彼はこんなことも言っていた
大変なことは誰が見てもわかる
頑張ってといわれてもこれ以上どうすればいいの
というのもわかる
でもあなたの近くや周りのひとが
そういってくれたりすることは実はありがたいことで
あなたがどう消化するかが大切なんだ
うまく言えないし なんでこんな風になったのかもわからないけど
と彼はニコニコしながら言ってくれた
そして今 彼を追いかけるように
うちも同じような道へ向かっているようだ
ただ 彼の気持ちになるまでにはまだ時間がかかるだろう
でも少しだけ安心感みたいなものもある
久しぶりに思い出したから電話でもしてみようか
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