2013年07月13日
iyashi
深夜
テレビのスイッチを入れると映画が流れていた
よくある深夜映画だ
いわゆる懐かしの名画を放送しているのであるが
昔から僕にはひとつ気になっていたことがある
これって僕だけのことなのかもしれないと最初に言っておいた方がいいだろうな
何かというと セリフが良く聞こえないのだ
過去の映画とは言ってるけど今の映画も僕にはなかなか聞きづらいところもあって
一生懸命耳を傾けるんだけど どうも聞こえない
ただ単に耳が聞こえにくいだけかもしれない 難聴というやつ
そういえば聞こえるほうではないというのもどこかで認識はしてる
中学生の頃の僕はちょっとした機械が大好きだった
まあ小僧が持てる機械なんて知れているが
その中でもラジカセなんて所有欲を満たす最大のかっこいい機械だった
その大きさといい重さといい 僕は毎日音に埋もれていた
だいたいその頃の情報源というのはラジオか雑誌だったんだ
FM放送の番組表が雑誌になって本屋に売ってたんだ 「レコパル」とかいう名前の雑誌もあったかな
僕は毎日 そのFMから流れてくる音楽を大切な機械で録音するんだけど
エアチェックという名前まであってそれはひとつの情報獲得の重要な方法だったのだ
でなんで聞こえにくいのかという理由の一つなんだけど
ここで登場するのがヘッドフォンなんだ
ふしぎなものでヘッドフォンをかぶり そう僕のヘッドフォンはかぶるタイプだった
音がデッキから出てくるものより格段良いのである
ラジオでもレコードでも普通のスピーカーから聞こえる音の種類より
たくさんの音が聞こえてくる
一面の花畑の花と花の間からのぞくまだ小さなつぼみをみつけたような感覚かな
僕の耳が性能アップしたようにも思えるほどに ヘッドフォンはおそろしい存在で
手放せなくなっていたのだ
またヘッドフォンのいいところは聞こえるとともに聞こえないというところなんだ
だって外からの音がはいってこないんだよ
表を走る車の音も 下から僕を呼ぶ母ちゃんの声も ボリュームつまみをぐいっと
ひねるように聞こえないほどに小さくなっていく そして僕のもとめていた音や聞いたこともないメロディが
耳の両側から頭の真ん中に向けて耳の穴からどんどんはいってくる
頭の中が音だらけになって目を閉じると 真っ暗なスタジオかステージか
はたまた自分がプレイしているかのような錯覚に陥るんだ
きっとそんな発育期を過ごしたおかげで集中障害みたいになってしまったんだろう
僕の自己分析だからホントの理由はわからないよ
静かにつぶやく彼の声や微笑んでささやく彼女の声がもごもごしてる
あのもう一度 とできないのが映画
なんて言ったんだ?
字幕ってありがたいな なんて僕は洋画見て思ってた
邦画にはあまりないものね
あとせっかちな僕の性格も影響してると思うんだ
会話の次の言葉を予想してばかりいるから 自分の中でつくったせりふじゃないと
あっ もう一回 みたいになる
次はこういう答えだろうと勝手に考えてるからストーリーもセリフも
飛んでいく
でもぴったり同じセリフだったりすると その俳優がとたんに好きになってしまったり
僕自身もちょっと映画の製作スタッフ気分を味わったり
そんな楽しみ方もあるんだ
聞こえないからが先なのかせっかちが優位なのか
どちらにしても
テレビの深夜映画はヘッドフォンで観るのがいいのだ
と結論を出してテレビを消した
でも もういいかなって気もした
だってビール飲んで知らないうちに寝ちゃってたりするし
だいいち
ヘッドフォン持ってないからね
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